Can do! Can go!

信じて きみの道 走り抜けて

【祝・まいジャニ放送200回】こうじくんがひとりでたっているようにみえたはなし。

彼はもうとっくにひとりで立っていたかもしれない。だけどわたしは1年半も認められなくて、康二くんを見れなかった。

 

 

 

彼のとなりにいた最高の相方の影をさがしてしまうから。


まいジャニで康二くん大吾流星によるアメフリ→レインボウが披露され、水曜日にはしょうれんで披露されたのはすこしまえのこと。

たくさんのひとのたくさんのおもいが溢れたあの日。わたしもたしかに失われたはずの可能性がすこし見えた気がした。

 

 

だけど、たりないピースはもう永遠にそろわない。


わたしが康二くんのはなしをするために、彼の相方だったひとのはなしに触れておきたい。


わたしが関西ジュニアを好きになったのは2014年の年末。横山くんが好きだ、と言っていたわたしに友だちはあるダビングしたDVDをすすめてきた。


「そこに真っ白で(わたし)が大好きそうな子出てるから見てみて!」と言われた。その当時ジュニア担だけにはならない、デビューするかもわからなきジュニアに無駄にお金を使うなんてぜったいしない、と思っていた。だから最初は渋ってたけどあまりにゴリ押しされるから1回だけ、とディスクをさしこんだ。

それがまいジャニだった。ジャニーズJrだけの番組があるなんて、しかも、関ジュだけなんて。すべてが新鮮でびっくりした。そして、かねうちくんを知った。

実はそのときにはやっぱりわたしにはジュニアは、といってすぐに返したのだけれどなにかをきっかけに動画サイトでまいジャニにめぐりあい、またたく間にはまった。

そして友人の思惑どおり、わたしはかねうちくんの虜になった。


当時高校3年生だった彼は頭の回転がよかった。
関ジュで淳太くんの後継者になれる、でも淳太くんともちがったツッコミの切れ味を持っていた。いつだって誰かがボケればすぐに拾える

それと対照的だったのが康二くんだった。シンメのこうじくんは自分の魅せ方たるもの、を持っていて自信たっぷり。だけど彼らはぴったりのシンメだった、最高の。こうじくんがボケて楽しそうにかねうちくんがつっこむ、それがありふれた光景だった。こうじくんとかねうちくんはジャニーズWESTがデビューして関ジュを背負って、トップに立つひとだった。

ふたりにはもうひとりたいせつな仲間がいた。それが平野紫耀くんだった。あとから加入した紫耀くんはかねうちくんと同い年の天然でおばかな、だけど誰よりもプロの仕事ができるこだった。紫耀くんを含めた少年たち6人はたくさんのひとを虜にした。わたしはなにきん、としても好きだったけどやっぱりKinKanがだいすきだった。

KinKanもKinKanがだいすきだった。雑誌や現場等々で彼らはいつもおたがいのことがだいすきだとわらった。十代後半の男の子がきゃっきゃして、はずかしがらずにだいすきだと言える関係はなんだかちょっとふしぎで、でもそれがKinKanだった。

ジャニーズWESTが関ジュを卒業して、かねうちくんは1年とリミットを決めた。高校3年生の1年を全力でアイドルに捧げる。それではっきりとした結果、すなわちデビューが見えなければ辞める、と決めたのだろう。彼はアイドルをやるには少々賢すぎた。自分の将来をよくかんがえることができてしまった。だから彼はリミットの1年がきたとき、彼のもうひとつの夢をおいかけることにきめた。

かねうちくんは彼のための卒業ソングを作ってもらって、歌って、だいすきな仲間と彼をだいすきなファンに囲まれて卒業した、らしい。
ジュニアを応援したてだったわたしはすきなひとが辞めることがこんなにあっさり来るものとは知らず、春松竹でなにがあったかを知ったのはかねうちくんがいなくなってからだった。

不思議とそれを知ったときに溢れた涙はかねうちくんだけへの涙ではなかった。

こうじくんはひとりぼっちになってしまうの?

紫耀くんと廉くんが東京に行くことがおおくなった時期だった。大吾、流星がいたとしてもいつもシンメで踊っていつも一緒に笑って、スタジオで追いかけっこして一緒に泣いた彼までこうじくんの側からいなくなるなんて。新しくオーディションで入ってきた子たちを育てるのはかねこじの役割だと思ってた。かねうちくんのいないまいジャニも関ジュも考えられなかった。

そんななかわたしはパリピポのバックについたこうじくんに会うことになった。ジュニア紹介で仕切っていたのはかねうちくんとお揃いのシューズを履いたこうじくんだった。わたしのうしろの立ち見のお姉さんは『ずっとかねこた好きでいていい?』という団扇を持っていた。パリピポはいまの自担に出会ったたいせつな現場だけど、かねうちくんの存在を色濃くした現場でもあった。
パリピポでこうじくんはちゃんとこうじくんだったしジーコだった。つまりちゃんと仕事をしていた。

 

おたくが受け入れようが受け入れまいがあたりまえに時間は進んであたらしいメンバーでまいジャニがはじまった。はじめはしょおれんの名前がのこっていたけどいつしか関西ジャニーズJr名義になった。
ボケてすべるこうじくんが見れなかった。がんばるけどすこし空回りしてしまうこうじくんが見れなかった。大吾がセンターになっていくのが悔しかった。るたこじも受け入れられなかった。いつしかまいジャニをshowtimeしか見なくなった。


新しく出会った自担をだいすきになっても、なにか拭えなかった。それがついこのあいだまでのわたしだった。


Anotherをみたとき、こうじくんはもうわたしの知ってるこうじくんではなかった。お兄ちゃんという役柄だけではなく、関ジュ全体のお兄ちゃんになっていた。泣き虫の弟キャラだったこうじくんはもういない。まわりをみて、自分の出るところ引くところが読める大人になっていた。東京に帰ってBDにのこしていたまいジャニのトーク部分を見たらそれはいままでと変わらないこうじくんのようでいい意味ですごく変わったこうじくんがいた。
大吾が関ジュの名を広める立場なら、こうじくんは関ジュをまとめて引っ張っていく立場だ。そう、感じた。


まいジャニでアメフリが披露されたとき、こうじくんのカットになって涙が溢れた。こうじくんは相方なしでひとりでたってみんなの前に立つアイドルになっていたことをやっと自覚した。

最近の記事でこうじくんは『これからの関西ジュニアは康二が引っ張っていくんやで』と淳太くんに言われとき不安でいっぱいだった、と語っていた。もともと前に出る出たがるタイプではなかった、とも。そんなことも全く知らず、「ボケたがりなこうじくん」としか見てなくてごめんね。仲間がはなれてもそれでも関西ジュニアに残ってくれてありがとう。ゆくゆくはデビューしたい、と言ってくれてありがとう。こうじくんがデビュー、ではなく、関ジュ全体のスキルアップと言ったときにどうしようもないかなしみに襲われて、もしかしたらもう彼はだめかもしれないと思った。だけど彼は確実にまえに進んでいて確実に関ジュをひっぱっていく存在になっていた。


かねうちくんと入れ替わるように入ってきた後輩も立派に成長した。こうじくんを支えてくれたのはフレッシュな後輩たちだったのかもしれない。きみの相方に「なんでちょっとだけ金髪にしてるんですか?」と聞いた道枝くんは、きみのことを「山田くんと同じくらいだいすき」と言った。
いまの関ジュの主戦力になってきたDKラインもしきりに「こうじくんに相談した」「こうじくんに怒られた」という。後輩を怒る立場になることはむずかしいこと。いまやそれをきっちり背負って慕われるこうじくん。
おにいちゃんの立場としてだけでなくもっともっと彼のダンススキルや歌のスキルがあがっている。これからの関ジュの未来を決めるのはこうじくんだ。

 


もう彼はひとりで立っている。もしかしたらわたしが気づくずっとずっとまえから立っていたかもしれない。こうじくんはとっても強い。だからこれからもその輝く姿がみたい、そう思っています。

 

 

 


まいジャニ放送200回おめでとうございます。